神楽マキ     

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荒れ狂う稲光。乾いた大地。炎のさだめ。
そして大いなるオロチ。
だが、神楽ちづるの悪夢に出てくるのは、いつも「吹き荒ぶ風」の姿であった。

吹き荒ぶ風のゲーニッツ。
数年前に死亡した、オロチ四天王の一人。
あるときは残忍な表情を浮かべつつ、ある夢では全くの無表情に、またある夢では慈悲深い宗教者の微笑みをたたえつつ。
そして次には必ず、そのゲーニッツに無残に殺される姉の姿が浮かび上がる。
姉の骸の前で無力に震えている自分の姿である。
いつも同じ。いつまでたっても同じ・・・・・・。

夢の終わりはいつもこうだ。
姉の体は吹き荒ぶ風によって切り刻まれ、引き裂かれ、無数の小片に変わり果てた上、
ちづるの足元に散らばっている。
ちづるはマキを助けたくて・・・・・・姉を助けたくて、懸命にそれらを集めるのだが、拾っても拾っても、マキの体の一部であったものは、指や腕の間からこぼれ落ち、すり抜け、うまく集めることができない。
膝をつき、手をついているちづるの上に、濃い影がかぶさってきた。
首筋に悪寒が走り、ゲーニッツの声が聞こえる。

「姉様、助けて・・・・・・」

目が覚めた。
布団をはねのけて飛び起きるわけではない。むしろ逆だ。
殺人者に怯えて震えが止まらず、何もできずに姉に助けを求めている。
覚悟もできないまま、すべてが終わる・・・・・・その寸前で目が覚める。
いつも同じだ。
一度は断ち切ったと思ったが、やはり変えることはできないのだろうか。

荒い息を整えながら、夢の内容を反唱してみる。
しかしそれが実際にあったことなのかどうか、どこまでが夢で、どこまでが記憶で、どこまでが実際にあったことなのか。境界はちづる本人にすら判別できなかった。
一人生き残った自分が自分を責める。自分の意識が作り出した幻影は、いったいどこからどこまでなのだろうか。

枕元に、マキが座っていた。
膝に手を揃え、背筋を伸ばして正座している姿は凛として美しかった。
完成され過ぎた人形に、手を触れるのをためらうような気持ちを抱くこともあった。
昔からそうだった。
双子ではあるが、いつも姉を頼っていた。
人の上に立つのは姉の方がふさわしかったのだ。

「目が覚めたみたいね、ちづる」
「私、夢を見ていたみたい。長くて気味の悪い夢を」
「あなた、うなされていたのよ?」
「姉様が殺されてしまう夢」(死んでいない?)
「私はここにいるわ。・・・・・・ずっと前から」(そうだ、姉様は死んでなどいない)
「でも、夢を見たの」(生きているのだ)
意識が混濁する。
どこまでが夢なのか、何が現実なのか。
ただ、意思だけが次第に、強く心を支配してゆく。

護らなければならない。何があっても、どんな相手からも。

「・・・・・・姉様、いっしょに闘ってくださいますね?」
「もちろんよ。何と闘うの?」
「私たちの・・・・・・敵と」

※ ※ ※

「ようやく・・・・・・堕とせた、か」
暗く湿っぽい閉ざされた空間で、ひとりの女が額の汗をぬぐった。
連日の儀式に疲労は限界に達していた。目は落ち窪み、頬はげっそりとこけている。
(侮っていた・・・・・・さすがに「護りし者」と呼ばれるだけはある)
数本の糸が女の指先から伸びていた。祭壇に盛大に焚かれた炎に反射して、暗い空間に白い線を浮かび上がらせたが、それが見える者がいるかどうか。ただ、その女にとっては、確かに存在する切れることのない糸なのである。
女は炎の前からよろよろと立ち上がり、差し出された水を立て続けに飲んだ。それで多少−心地はついたが、体の芯に固体のような疲労を拭うことはできない。
(無界さまのおっしゃるとおりかもしれない・・・・・・これで八咫の姉妹が健在だったら、私ではとても・・・・・・)
だが、事は既に成った。
自分の役目はここまでである。ちづるはこれから「自らの意思」で働いてくれるだろう。自らの意思、すなわち我らの意思。神楽ちづるは、すでに手駒の一つなのだ。

「少し眠る。後は任せた」
水を入れた器を返すと、女はふらつく足取りで自室へと向かった。
焦ることはない。後は待っていればいい・・・・・・

※ ※ ※

二つに裂かれた自分の意思の片方で、ちづるは何かを必死に食い止めようとしていた。
マキが目の前に座る。
それを受け入れた自分が居る。
拒んだ自分も居る。
双子の姉妹としての感情は姉を受け入れ、神楽・・・・・・八咫家当主としての使命は、それをかろうじて撥ねつけた。
マキの姿は消えた。
「誰か、いる?」
かろうじて人を呼ぶと、ちづるはこめかみを押さえ、机にひじをついて頭を支えた。
激しい頭痛と悪寒に、頭の位置を変えることができない。
「お呼びですか? お嬢様」
「草薙 京と八神 庵を呼んでちょうだい」
「・・・・・・それは難しゅうございます」
「神楽家当主としてのお願い、いえ、正式な要請だと伝えなさい」
若い主人のただならぬ口調に、呼ばれた者も気が付いた。
「承知いたしました。すぐに手配いたします」
廊下を静に足音が遠ざかる。
邸内は広すぎる。やがて、耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。
(どこまで私が私でいられるか、それはわからないけれど)
目を閉じ、意識を集中させる。させるほどに頭痛は強まり、それは耐えがたい物理的な衝撃と感じられるまでに高まってゆく。

(負けるわけにはいかない。「死んだ姉さま」のためにも)